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2014年06月22日

「種まく旅人〜みのりの茶〜」−−自然を愛で、人生を見つめるオーガニック・シネマ

著者 :
TCエンタテインメント
発売日 : 2012-08-07
公式サイト:http://www.tanemaku-movie.com/

 フライヤーのトップでこう謳っている。“これからの「新しい価値観、豊かな生き方」を応援する みると元気になるオーガニック・シネマの誕生!!” なるほど、農林水産省官房企画官・大宮金次郎役の陣内孝則と、リストラの憂き目にあい東京から故郷に帰るヒロイン森川みのり役の田中麗奈の頑張りと爽やかな笑顔を見ていると、やる気になれるから不思議。

 アパレル企業でデザイナーの仕事をしている森川みのり(田中麗奈)は、ある日上司から業務縮小のためリストラを匂わせられる。思わず「デザインができないなら、私が居る意味はないですね」と啖呵を切り退職してしまう。その夜、父親の修一(石丸謙二郎)に、「入社に際して世話になった人に顔向けがない」となじられ、父のコネで入社できたことを知り、何事も先回りしてレールを引こうとする父親に腹立たしさが増すみのり。故郷の大分県臼杵市で独り暮らししながら茶畑を守っている祖父・修造(柄本 明)の所へ行き気を紛らわす。頑なに有機栽培でお茶づくりをする祖父・修造と企業戦士の父・修一は、何かと馬が合わず疎遠になっている。

 みのりが修造の家に着いた夜、“風来坊の金ちゃん”がふらっと修造を訪ねてきた。満面の笑みで喜び迎える修造。「この人は、百姓の気持ちがほんとに分っとる」と言う修造。実は金ちゃんは、この市に出向してくることになった農林水産省官僚だが、身分は誰にも明かしていない。市役所には、有機栽培での改善策を地元の農家青年たちと考えている職員の木村卓司(吉沢 悠)がいる。だが、上司たちは大規模茶園への動きに着目し、木村の改善案には見向きもしない。

 ある日、修造が祖母のお墓の前で倒れた。側に金ちゃんがいたため命は助かったが、長期入院が必要。金ちゃんにも勧められ、仕方なく修造の茶畑の手入れを始めたみのり。自分の将来や仕事のこと、慣れない茶畑のこと。悩む中で、みのりは農園カフェを始めて脚光を浴びている友人の栗原香苗(中村ゆり)を訪ねる。自分の仕事を見つけて生き生き輝いているように見える香苗。正直に褒めるみのりに、香苗は「おしゃれで楽しいだけの仕事なんてどこにもない」と傍からは見えない現実の厳しさを打ち明ける。みのりにも、その真摯な声が届き、何かが変わっていく。

 2年ほど前になるか、農業や食の在り方に目を向けようと“ノギャルプロジェクト”が、渋谷で自分たちで作ったコメを“シブヤ米”として配り話題になった。真面目な視点でよい取り組みと思うが、どこかファッショナブルで都会受けする感はまぬかれない。

 この作品には、映画としてのストーリー展開はあるとしても、栗原香苗がみのりに自分の生き方でみつけた言葉を語れる真実さがストーリーの柱にしっかり据えられている。大宮金次郎にしても映画的な表現だが、1960年代には産地を愛し現場の知識に富んでいた官僚が、現在の官僚イメージとはほど遠いくらい存在した。信念を持って生きる人、自分探しにどう取り組んでよいのか手探りな世代。“お茶”という身近な農作物が、自然からの恵みと食する安らぎを、人間の生き方を重ねて実感させてくれる。

 ふと旧約聖書のことばを思い出した。「神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた」(創世記2:15)。自然を愛し、作物を愛して守る目は、天変地異の予兆にも聡くなる。守るべき自然から目を離し、未知の薬害に関心を持たなければ、その実は自分だけでなく人間に返ってくる。

 大分の自然と収穫を手伝う情景に思わされる。自然から離れ失われゆく共同体への哀歌を奏でるのは避けたいと。



posted by 都島中央キリスト教会 at 22:00| Comment(0) | DVDと本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月12日

50th anniversay 

おいらが通っている教会の50周年だそうだ。

すごいね。

この度は四国のからクリック
ライトハウス新居浜福音キリスト教会』の
楠 章三先生をお迎えしての記念礼拝でした。

またしても当教会の目玉!!登場!!



posted by 都島中央キリスト教会 at 23:27| Comment(0) | (仮)都島コーラス隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月26日

第41回 JKA 大阪府幼・小学生空手道選手権大会

4/13の大会。

二年ぶりに表彰台に立った。

おいらはコート係のお手伝いのため中々見にいけなかったが合間を見計らって最後の形だけを撮ることができた。

携帯での撮影のため画質はおちるがここまで近くにで撮影できたのも久しぶり。

2014-04-13 16.28.28.jpg



posted by 都島中央キリスト教会 at 22:08| Comment(0) | 親バカ シリーズ  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

イースター(復活祭)

今回のイースター賛美は奏楽者が練習に参加できずどうなるかと思った。

CDに練習曲を録音してコーラス隊は練習していたようだ。

そして迎えた本番である。

それにしても良く息が合っている。



イースター礼拝後の愛餐会にて。

勝手にバンド名つけて申し訳ない。




posted by 都島中央キリスト教会 at 21:08| Comment(0) | (仮)都島コーラス隊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

第41回 大阪市空手道選手権大会

※※ 久しぶりの親バカシリーズ ※※

2月末からほぼ毎週大会が続き、付き添いもピークです。
大会運営のお手伝いもやっていましたので、中々ビデオが取れずじまいでした。
久火ぶりの撮影です。

4月に入っての大阪市連盟大会。

大阪府連盟大会の予選も兼ねています。
ギリギリ選出されそうです。

ベスト4をかけての試合です。
勝負は負けましたがよく頑張った。


posted by 都島中央キリスト教会 at 22:01| Comment(0) | 親バカ シリーズ  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

「アリラン」 −−峻厳なまでのセルフドキュメンタリー

著者 :
マクザム
発売日 : 2012-09-27
公式サイト:http://arirang-arirang.jp/

 ベルリン映画祭、ヴェネチア映画祭、カンヌ映画祭の3大国際映画祭でコンペティション上映を達成し、世界の映画界から高い評価を得ていた韓国のキム・ギドク監督。だが、2008年にオダギリ・ジョーを主演に迎えた「悲夢(Dream)」の完成後、消息を絶った。

 3年後、カンヌ国際映画祭に突然出品された本作は、「ある視点」部門で最優秀作品賞を受賞。隠遁の3年間を独白し、驚きと衝撃を与えた。

 片田舎の小高い丘に建つ一軒家。寒さを防ぐため家の中にテントを張り、猫一匹とのシンプルな独居生活をしながら、前作「悲夢」で一人の女優が危うく落命しそうになった事故を通して、自己を内観し、「人が事故死しそうになるような事故をお起こしてまでつくる映画とは何なのか」「人生にとって一番大事なものは何か」と厳しく自問自答する。

 やがて、自問自答する“自分”を揶揄するかのように激しい言葉をぶつけてくる“第2の自分”。また“自分”と“第2の自分”との激論を冷静に見つめている“第3の自分”が登場し肯定と内省を直視する。さらには、“影”が登場し、3様の“自分”と対話する。それほどまでに峻厳に自己の内面と存在を問い詰め、呻吟する姿は、苦悩するヨブに言葉を発する友人たちとのシーンさえ想起させられる。

 キム・ギドク監督は、当初は映画として上映する意思はなく、自己を見つめるために撮りためていたという。だが、撮影し自分の内面を表現するということ自体、映像化していくためのテクニックが必要であり、意識化を奮い起こしていく作業が伴っていくものだろう。

 海兵隊を除隊後、神学校を卒業し2年間教会献身し、牧師を目指した経験を持つキム・ギドク監督。このセルフドキュメンタリーにキリスト教的な挿話はほとんどないが、事故を通して人間の命の存在と自己を見つめる姿に、その真摯さを感じさせられる。自問自答の合間に、ときおり挿入される自作の絵画。その中にあるいばらの冠を着けられたキリストの絵。

 エスプレッソコーヒー機を自作するキム・ギドク監督は、何を思ってか、拳銃のユニットも自分で組み立てる。その拳銃を持って夜の街へ車を駆っていくキム・ギドク監督。そして、独白は“映画”になった。 


posted by 都島中央キリスト教会 at 19:51| Comment(0) | DVDと本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」 −−3D映像が実感させるピナの魂

公式サイト:http://pina.gaga.ne.jp/

 舞踊と演劇を融合させた舞台芸術を創出し「タンツテアター」と自ら命名したドイツの舞踊家・振付家ピナ・バウシュ(1940/7/27〜2009/6/30)。彼女の作品では、ダンサーたちは踊るだけでなく、時には台詞を語り、歌いもする。激しいアクションから突然泣き叫び、笑い転げることさえある。それらの作品のシーンを観客として客席に、またダンサーたちと共に舞台や町中に出て演じているような身体の感覚を覚えさせられる。3D映像でなければ、観ていて自分の身体が疾走し、浮遊しているような錯覚に陥っただろうか。「踊りなさい。自らを見失わないように」と教えたピナの魂が、ダンサーたちの踊りをとおして観るものを鼓舞する。

 ベンダース監督は、随分前からピナと共同で映画をつくる企画をすすめていたが、タンツテアター作品を映画化する手法に悩んでいたという。そして2007年に3Dでの映画化に見通しをつけたのだが、ピナの急逝。一時は映画化を諦めかけたが、作品の完成を待ち望む声がベンダース監督の背中を押した。

 クラシックバレーの研さんを積んでいるヴッパタール舞踊団のダンサーたちが、コンテンポラリーダンスの舞台セットで、街なかで、また原野へ出て行き、ピナが選んでいた「春の祭典」(1975年)、「カフェ・ミューラー」('78年)、「コンタクトホーフ」('78、2000、'08年)、「フルムーン」('06年)4作品の様々なシーンを脈絡なく踊り、ピナの魂を演じていく。

 近年は、賛美歌とタンバリンダンスで聖書の神を賛美するムーブメントが浸透しつつあるキリスト教界。喜び踊りなさいを与えられている身体で表現し、神のものへと証ししていく。映画では、各国から集まっているヴッパタール舞踊団のダンサーが、ピナから受けたことについて語っている。ダンサーの一人は「愛とは」と投げかけられ、それを表現する。作品のシーンとは別に、ダンサー各自の個性的な踊りも演じられていて、その一つひとつがピナの独自な世界にレスポンスしている。

 踊りを愛する人たちを愛したピナ。この映画から受ける感動と刺激は、身体を使って踊ることの喜びと熱情を揺さぶる。それは、観るものにも心の奥底に、ある躍動を呼び起させる。

 昨年の第24回東京国際映画祭で特別招待作品として上映され、舞台に立ったベンダース監督は、「これから皆さんを、東京からドイツの小さな町(ヴッパタール)……ピナが40年来活動した町へと連れて行きます」と挨拶した。その招きに素直に応じてみたい。   



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2014年03月03日

「フラメンコ・フラメンコ」 −−フラメンコの醍醐味と明日を感じさせられる21幕

公式サイト:http://www.flamenco-flamenco.com/  

 いま、日本のフラメンコ愛好者人口は5万人とも言われ、あの独特な節回しと情熱的な声が印象的な歌(カンテ)のファンも増加し、スペンに次ぐフラメンコ好きな国として認められてきている。スペイン新世代を担うフラメンコギターリスト、カンタオール(男性歌手)、カンタオーラ(女性歌手)、バイラオール(男性舞踏家)、バイラオーラ(女性舞踏家)らが出演するこの作品は、フラメンコの醍醐味と明日を予感させ存分に味わわせてくれる。

 監督・脚本を手がけたカルロス・サウラは、ギュスターヴ・ドレやジュリオ・ロメロ・デ・トレスなどヒターノ(スペイン語でジプシー)絵画の数々を舞台背景のようにふんだんに使い、パコ・デ・ルシア、マノロ・サンルーカル、ホセ・メルセーたちのギターや、サラ・バラス、エストレージャ・モレンテ、エバ・ジェルバブエナらバイラオーラとイスラエル・ガルバン、ファルキートらバイラオールを舞わせるホセ・メルセー、ミゲル・ポベダのカンテでフラメンコを体現させる。

 説明や台詞はなく、“生命の旅と光”をテーマにフラメンコの多彩なパロ(曲種)と作品で21幕に構成し描いていく。「最初の作品ルンバ“緑よ、私が愛する緑よ”に始まり、。誕生<アンダルシアの素朴な子守歌>、幼少期<アンダルシア、パキスタンの音楽とそれが融合した音楽>、思春期<より成熟したパロ>、成人期<重厚なカンテ>、死期<奥深く、純粋で清浄な感情>から、希望に満ちた再生へとつなげ、命の蘇りを想起させる。」(プレス資料より)
 21幕で演じられる曲種と作品名(主な出演者)は以下のとおり

[1]ルンバ“緑よ、私が愛する緑よ”(カルロス・ガルシア<カンタオール>、マリア・アンヘレス・フェルナンデス<カンタオーラ>、ホセ・カルモナ<ギター>)
[2]アレグリア“わが娘 サリータに”(サラ・バラス<バイラオーラ>、マロ・モントーヤ<ギター>)
[3]ソレア・ポル・ブレリア“フアン・モラオ”(ディエゴ“エル・モラオ”<ギター>、モンセ・コルテス<カンタオーラ>)
[4]カンタヘネーラとゴレリアス“二つの魂”(ダビド・ドランテス、ディエゴ・アマドール<ピアノ>)
[5]ガロティン“不思議な者の美しさ”(ロシオ・モリーナ<バイラオーラ>)
[6]コプラ・ポル・ブレリア“それら四つのカポーテ”(ミゲル・ポベダ<カンタオール>)
[7]ソレア“哀歌”(エバ・ジェルバブエナ<バイラオーラ>、パコ・ハラナ<ギター>)
[8]“サタエ”(マリア・バラ<カンタオーラ>)
[9]“聖週間”(群舞)
[10]マルティーネーテとトナー“立ち上がれ”(ホセ・メルセー<カンタオール>)
[11]ブレリア“シギリージャ”(マヌエル・フェルナンデス“エル・カペータ”<バイラオーラ>、ヘスス・ゲレロ<ギター>)
[12]無伴奏“静寂”(イスラエル・ガルバン<バイラオール>)
[13]グアヒーラ“夜が明ける前に”(アルカンヘル<カンタオール>)
[14]アレグリアス“孔雀の踊り”(マルロ・サンルーカル<ギター>)
[15]タンゴ“タンゴス”(エストレージャ・モレンテ<カンタオーラ>)
[16]“時”(群舞)
[17]ブレリア“時の伝説”(トマティート<ギター>、ニーニャ・パストーリ<カンタオーラ>)
[18]子守歌“子守歌とコーヒー”(エバ・ジェルバブエナ<バイラオーラ>、ミゲル・ポベダ<カンタオール>、パコ・ハラナ<ギター>)
[19]サバテオ“いっぱいの夢”(ファルキート<バイラオール>)
[20]ブレリア・ポル・ソレア“アントニア”(パコ・デ・ルシア<ギター>)
[21]ブレリア“ヘレスのブレリア”(ルイス・フェルナンデス“エル・サンボ”、ヘスス・メンデス<カンタオール>、モライート・チーコ<ギター>)


ブレリア・ポル・ソレア“アントニア”を弾くパコ・デ・ルシア
 独自の文化と因習を疎まれ、偏見と迫害の長い歴史を歩んでいるヒターノとフラメンコは深いつながりがある。苦しみの哀歌に留まらず、さまざまな曲調を歌い、踊り、演奏する“生命の旅と光”の競演は、まだフラメンコを知らない人たちにも新たな情熱と躍動の息吹を感じさせてくれる。


posted by 都島中央キリスト教会 at 20:24| Comment(0) | DVDと本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

「英雄の証明」 −−シェイクスピア悲劇を現代に脚色

著者 :
Happinet(SB)(D)
発売日 : 2012-07-03
公式サイト:www.eiyu-shoumei.jp

 ウィリアム・シェイクスピアの最後の悲劇『コリオレイナス』の舞台を現代に置き換え、新解釈と見応えのあるサスペンスアクション作品に仕上げられている。勇猛果敢な戦いぶりと多大な戦功に対して“コリオレイナス”の尊称を与えられるローマの将軍ケイアス・マーシアス(レイフ・ファインズ)。その敵国ヴォルサイ軍の将軍タラス・オーフィディアス(ジェラルド・バトラー)。登場人物の名前、ストーリーの流れはほぼ変わらず、格調あるセリフや情景設定などはシェイクスピア劇の香りを楽しませてくれる。

 食糧難のローマ市の市民にマーシアス将軍が穀物支給を反対したことから、貧民層の暴動が起きようとしている。責め寄る貧民たちに対して、国を守る義務意識の低さなどを愚弄するかのような言葉で批判し、一層の反感を買ってしまう。そのような国情の隙を突くように攻め込んできたヴォルサイ軍。マーシアスの軍に4度も排斥され、そのリベンジを燃えるオーフィディアスだが、2人が直接闘った今回もマーシアスが勝利しローマは守られた。

 凄まじい戦いを制したマーシアスの戦功に対して元老院は“コリオレイナス”の尊称を与え、執政官に推挙する。執政官になるためには市民に選挙に当選しなければならない。政治的な職務を潔しとせず執政官を固辞するマーシアスだが、最後は母ヴォラムニア(バネッサ・レッドグレーブ)に説得され選挙に臨むことを承諾する。しぶしぶながら選挙活動に駆り出されるマーシアスを、二人の護民官が策をめぐらし民衆を煽り立てる。激怒したマーシアスは、民衆の政治参加を公然と批判する言動をしてしまう。

 戦功を称賛された栄誉から急転直下の裁判に掛けられ追放刑を言い渡されるマーシアス。信念をもって闘い、戦功をもって国を守ってきた自尊心を、策謀によって屈辱と悲嘆に貶められたその心に激しい義憤と決意が燃え上がる…。

 主演と初のメガホンをとったレイフ・ファインズとライバル役のジェラルド・バトラーは、共にシェイクスピア劇から俳優の歩みをスタートしている。そして脇を固める演技派の俳優たちとリアルな戦闘シーンなど贅沢な演出が、民衆政治の危うさと母の説得に心動かされ翻意していく人間関係の強いつながりをみごとに描いていく。

 現代のシェイクスピア劇を堪能させてくれる。


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2014年02月25日

「汽車はふたたび故郷へ」 −−心の自由をつくり続ける

公式サイト:http://bitters.co.jp/kisha/

 少し毒気はあってもシニカルではなく、ユーモアのある詩的な映像に社会風刺を味付けするイオセリアーニ監督。旧ソ連時代は、作品を上映禁止にされることが多く、ソ連とトルコに挟まれた母国グルジアからフランスへ1979年に移住した。

 そのような実人生を彷彿とさせられるこの最新作では、こよなく映画を愛し、心の自由を失わずに飄々と生きていく人生賛歌が響いてくる。

 ニコとルカスと女性のバルバラの3人は、子どものころから教会の聖人画を盗んでは司祭にいたずらをするような幼なじみ。成長してニコは映画監督、バルバラは検察官の職に就いている。廃墟の一室に集まった3人は、ニコの新作映画を試写して意見を交わす。森の中で銃殺刑を執行しているシーン。「カットしないと面倒なことになる」と率直に述べるバルバラ。「いや。カットしない」と自信を持って答えるニコ。3人は意志を確かめ合ったかのように握手する。

 案の定、公開上映禁止を告げられたニコ。帰宅した後、ニコとルカスとバルバラたちは、「仕方ない。乾杯!」とグラスを傾ける。

 そんな折、フランスから大使がグルジアに来た。ニコは通訳するバルバラの手引きで大使と面談できたが、その行動は監視されていた。投獄され痛めつけられたニコに、高官は「外国へ行け」とそれとなく忠告する。

 祖父は、旧友のミハエルを身元引受人として紹介し、ニコをフランスへ送り出す。伝書鳩一羽を入れた鳥かごと楽器を持ってパリへ旅立つニコ。大使の取り計らいで、パリでの監視を緩められ、映画プロデューサーたちにもつながりを持てたニコだが、「映画もビジネスだ」と言い、いろいろ口出ししてくるプロデューサーたちの下で、ニコは思い描く映画を自由につくることができるのだろうか。

 人には誰しも自由を求める心が与えられている。その心は、家族や幼なじみ、そして街の空気とそこに住む人々との触れ合いから育まれていく。フランスから故郷に帰ったニコ。そこで様々な制約を受けながらも口笛吹きながら想いを作品にしていくのか。

 それとも、また新たな世界へ自由を求めていくのか。なんとも意味深なラストシーンが、「あなたは?」と観るものの心に印象深く問いかけてくる。  


posted by 都島中央キリスト教会 at 22:56| Comment(0) | DVDと本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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